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2023/07/31 10:42

私自身、"釣り"から学んだ事が沢山あります。
それは"禅"に近しい事なのだと、最近学びました。
自然の中に身を置き、道具を使って生き物とのやり取りに時間を費やす行動、"釣り"。
少し大袈裟に言えば、そういう事です。
"瞬間"、"刹那"、その行動の中にしか現れない"思考"や"表現"。
"一瞬の中に問われる判断の連続"。
突き詰め無くとも、釣りとはそう言うものです。
これらの話は、一般的に言えば"思想"や"哲学"でしょう。
釣りをしていると、自然と対話しているのかと思う様な現象に陥る事が多々あります。
あなたがもし、釣り人であればこの意味はすぐに理解できると思います。
"勘違い"や"思い込み"、これらは言わば1つの才能では無いかと思ったりします。
私にとって、"蔑(さげす)む"事はいつでも簡単で、"敬(うやま)う気持ち"である、見上げる根性は、常に自分との戦いです。
そう言った行動の中から"感謝"や"感動"を引き出せるのもまた、才能かも知れませんね。
そう考えると、私には"才能"が少ないとも言えます。
しかし、釣りをする事でこう言った事を考えたり、悩んだり、楽しんだりすると言う事は、"釣り"は少なからず人を幸せにするようです。
"幸せ"の定義はよく知りませんが、どうやらそれは、"心の豊かさ"だそうです。
日々の生活の中から少しだけ抜け出し、水辺に立ち魚の事に想いをふけるという時間は、どう考えたって"心の余裕"を自分から作り出しているとしか思えない訳です。
これら全ては、深い意味も含めて全部、"釣り"という行動の中から学びました。
魚釣りは、雑誌を見ても、ブラウザーやスマホの画面をいくら覗き込んだとしても、実際に魚を手にする事は出来ません。
釣り場に足を運んで、実体験の中から起こる様々な事が重なり、繋がって釣果に結び付きます。
"なにも、そこまで考えなくても"、魚釣りは出来ますし、魚も釣れるでしょう。
家を出て、釣り場に向かい、魚釣りをして帰る。
難しい事は何も無い。
しかし、"なにも、そこまで考えるから"こそ、面白い世界がソコにあったりもする訳です。
わかる人には、わかる。
必要無い人には、全く役に立たない。
そう言う事です。
RATA1984